アンデスのリトゥーマ バルガス=リョサ ☆☆☆☆

理解を超える異物。変移のない隔絶。それほどの他者に出会うことがあるだろうか。その境界の絶対性を、どこまで信じうるだろうか。

■他者
土着文化と征服者の西洋文化は、ラテン文学において本質的な矛盾を孕みながら相克する。本作品は、その宿命的な構図を巧みなまでに読み応えのある物語に昇華している。
まず登場人物が手堅く厚い。リョサ作品にお馴染みの伍長リトゥーマ、女に恋い焦がれる若者、無表情のインディオに、おぞましいほどの逞しさを漲らせる酒場の夫婦。口をきかない弱き犠牲者に、終盤、物語の核心につながる独白をさせるのも心にくい。
登場人物による多くの語りは読み手を惑わせ、次第にひとつへと撚り合い、ついに狂気へと至らしめる。迷信めいたアンデス文化と他者であった伍長、あるいは、物語とそれを辿るすぎなかった読み手。隔てられていたはずのものの融点である。
日常と表裏一体の狂気を、共同体は同時に体験する。 否、正確には、日常と狂気の共有こそ、共同体の定義だ。
「じゃあな」とリトゥーマに締め括らせるリョサが粋である。

■「星はきっとビクーニャの喉みたいにやわらかくて」
生贄として消えた三人。恐怖に歪んだ顔を想像するも、口のきけないペドロ・ティノーコの独白によって見事に裏切られる。生き生きとした表現に、優しさすら感じるパラグラフ。(P304)

■漕いで漕がれて
「緑の家」の嵐の感はないが、リョサらしい語りの変移にひさびさの読み応えを得た。物語を勇み読む能動と、物語に動かされている感覚が交互に訪れる。心地よい。

アンデスのリトゥーマ マリオ・バルガス=リョサ 木村榮一(訳) 岩波書店 2012.11