2011-01-01から1年間の記事一覧

なぜ子供のままの大人が増えたのか 曽野綾子 ☆☆

若い人たちと、若者に教育をほどこしてきた世代について。どれもひとまず正しい。与えられるばかりで与えようとしない若者はたしかに多い。だが与えられないことに焦り、思考・行動停止になる若者もそれ以上にいるのではないか。 私のまわりには最近、母親に…

年末最終号 yoku yomu 2011

2011年は「色」をテーマに小説を記憶してきました。今年の七色をご紹介します。緑:「緑の家」バルガス・リョサ(ペルー)(1月) 黄:「黄色い雨」フリオ・リャマサーレス(スペイン)(6月) 赤:「蜘蛛女のキス」マヌエル・プイグ(アルゼンチン)(5月) 白:…

小さな建築 富田玲子 ☆☆☆☆

うっとうし厚い灰色の雲。それを源から吹飛ばす爽やかな風と温かな陽ざしのよう。自分自身で雲を払拭できずに蹲ってしまうのは、「経験のなさ」を言い訳にしてしまう「勇気のなさ」ゆえか。清清しい自然体で、ときに泥に塗れて生活し、仕事ができたなら、ど…

ひさびさの yoku yomu

読みっぱなし書きっぱなしを一挙に消化! 頭も心も師走の大掃除です

怖い絵 中野京子 ☆☆☆

画家の個性やら芸術性はともかく、時代の感性があらわれてしまう、それが怖い。 今の日本の感性は、数十年後、どういわれてしまうのだろう?

ワセダ三畳青春記 高野秀行 ☆☆

わが野方の女子アパートを思いました。よくあの模型だらけ、荒れ放題の部屋で生きながらえました。「彼女が自分の部屋に似合わない」の件にはぎくり。 先日素敵すぎる友人宅にお邪魔し、歳相応の人間らしい暮らしをすべきと改めて反省。

サクリファイス 近藤史恵 ☆☆

江古田のジャズバーのマスターに薦められた一冊。おもしろかった、素直に。勝負のかけひきとはちがい、少々小説も言葉も平坦ではありますが。

倫敦塔 夏目漱石 ☆☆☆☆☆

この一年読みためてきた本たちの存在を一気に覆し、来年一年すらも左右しかねない作品。改めて別の場でとりあげるべく、短文を書いているところです。

第10回 yoku aruku

12日に第10回の記事をアップします。今回訪れたのはとある公民館。高齢化・過疎化・車社会そのもの、といった町にできたばかりの建築です。いうまでもなく建物をあつらえただけでは町の起爆剤にはなりえません。それをいかに育てていくのか、ここからは人次…

◆2011年冬 第1弾 展覧会(11月)

■愉快な家 —西村伊作の建築— @INAX/11.19.Sat アメリカのバンガローを取り入れ、家族本位の住まいを提唱・実践した文化人・西村伊作。文化学院の創設者として知られ、彼の広範な興味は住宅・家具から陶芸、服飾、絵画にまで及ぶ。藤森照信が「アメリカよりも…

表現する仕事がしたい! 岩波書店編集部編 ☆☆

「択ぶことがわたしにとっては表現」奇しくも今日、一年ぶりに訪れたイシイコレクション・ご主人の言葉。(東京・青山、ブルーノートのうらにあります。)絵を描く、文を書くことばかりが表現ではない。対話であったり、つまらなくみえる仕事であったり、な…

地下室の手記 ドストエフスキー ☆☆☆☆

いや、それより…というのも…そこで…とにかく…だとしたら…もし…なるほど…だが…ところが…あるいは…だいたい…しかし地下室の逡巡はつづく。「意識は病気である」。ひとたびその病に罹ると(本当は誰もが罹っているのだ)、かようになるのだ。「ドストエフスキー…

春宵十話(ほか) 岡潔 ☆☆☆☆

およそふた種類の人間がいるらしい。教育者と実業家。ともに確かな眼と判断力をもつ。違いはその先、ただ一点だ。だがその一点が実に正反対なのである。 ひとをつくるひとのいうことには「真我になってこそ、人々は心が一つに溶け合うことが可能なのです」、…

◆2011年秋 第5弾 行き着くところは結局、食欲の秋

■長月の会 夏の暑さが残る9月には元気のでるコリアンアレンジ。 ・青菜のチャプチェ ☆☆☆☆ ごはんがススム! ・野菜とえびの松の実あえ ☆☆☆☆ 松の実最高。材料色々で丁寧な生活感が嬉しい。 ・キムチの土鍋ごはん ☆☆☆ 石焼ビビンバ、実家でよく食べるので物…

ともえ投げアルマジロ 『青肉』

パロディ的な要素、やや特殊すぎるが魅力的な登場人物たち、希望のある結末など、いろいろな側面が丁寧につくられています。作者のもつ誠実さを読み取りました。作者の世界観や意に反するかもしれませんが、失礼を承知でわたしなりのつづきを書きました。ひ…

第9回 yoku aruku

今月はイレギュラーでハイペース。第9回は秋空爽やかな神代植物公園から温室についてレポート。 夢の島の温室は清掃工場からの排熱を利用したものとして社会科見学でよく使われるそうです。多摩動物公園の昆虫園は、動物の餌の調達に端を発するのだとか。植…

◆2011年秋 第4弾 王道、芸術の秋

■礒江毅=グスタボ・礒江展「真実の写実絵画」 2011年9月11日(日)@練馬区立美術館 愛情ではないのです。冷徹なまでの時間の凍りつけ、解剖の眼差し。観る者にもその過程を強要する凄みがありました。写実絵画といえば、ホキ美術館で得た一種のアレルギー…

第8回 yoku aruku

山形国際ドキュメンタリー映画祭を総括。ZMとHFは新宿御苑にてピクニックミィーティングを行いました。家族連れ、カップル、スケッチサークル等、さまざまな集いをみることができます。こんなにもたくさんの人たちがいる、そのことにある種の幸福を感じなが…

心の青あざ サガン ☆☆☆

サガンの戯曲の主人公である兄妹の小説と、サガンの独白がたたみかけるテクスト。両面の距離感と表裏一体感が絶妙。 - フランス的な文学の嗜みも感性もないことは判っている。ブルジョワジーな奔放をまねたいと思うほど愚かでもない。それでも相も変わらずサ…

第7回 yoku aruku

前回に引き続き山形国際ドキュメンタリー映画祭を特集。映画祭に参加した二人が自由勝手に講評しています。お隣の席にいたあの人、審査に来ていた名監督、地元のおじさん…人が違えば感じ方が全く変わるのは至極当然ではありますが、こうして各々の感じ方が明…

人間の建設 小林秀雄・岡潔 ☆☆☆☆

おもしろい絵ほどくたびれるという傾向がある。 物というものは、人をくたびれさせるはずがない。 物と絵かきは、ある敵対状態にあるのだな。(小林) 物を生かすということを忘れて、 自分がつくり出そうというほうだけをやりだしたのですね。(岡) 矛盾が…

◆2011年秋 第3弾 申し訳程度に建築、勉強の秋

建築勉強しなくちゃ!ことあるごとに反省をしてはいるのです。昔「好きな建築家は?」と会社の先輩にきかれました。まっとうな回答をしていたつもりが「建築の答えになっていない」と遮られました。建築を語ったはずが物語にしかきこえなかったとのことです…

◆2011年秋 第2弾 たまにはカラッと お気楽映画祭

■ルド&クルシ ☆☆ 2011.09.03 G・G・ベルナルを暇つぶしに見ようか、程度。ストーリーはともかく、バナナ農園や村の風景がとても好きでした。メキシコ、いきたい。■ラブ・アクチュアリー ☆☆☆ 2011.09.11 女子が大概お気に入り映画に挙げ、レンタル屋ではかな…

見知らぬ島への扉 ジョゼ・サラマーゴ ☆☆☆

島を見たいのなら、その島を離れなければならない ・・・まだ海にでていないんだよ、 でも、もう海の上にいるわ(本文より)

白の闇 ジョゼ・サラマーゴ ☆☆☆☆

「白の闇」が人々を次々と襲う。発症者や感染者の隔離に始まり、終いにはすべての人々がこの原因不明の失明におかされる。失われていく人間性、社会性、個別性、希望や未来、ありとあらゆるもの。一寸先の展開も読めず、果たしてどのような物語を導くのかと…

第6回 yoku aruku

山形国際ドキュメンタリー映画祭を特集。ZMさんを招聘し、いつもとは一味違うyoku aruku、ご一読ください。

自動車絶望工場 鎌田慧 ☆☆☆

半年間の期間工として自ら自動車工場へ。トヨタの実態、日本の成長の裏側を暴く。著者は過酷な労働を社会問題として一辺倒に糾弾するのではなく、労働者ひとりひとりによりそう。ワーキングプアやニート、ハケンが生まれる前の、高度経済成長期を描く古典的…

疲れすぎて眠れぬ夜のために 内田樹 ☆☆☆

日本人らしく、サラリーマンらしく、女性らしく。自己防衛機能としての「らしさ」。そこには自分らしさというマヤカシは並びえない。賛成。 - 試みに「らしさ」の英訳を考えるも、都合よい形容詞や助詞は見当たらない。「らしさ」を「型」と置換すると? sty…

第5回 yoku aruku

秋は催しものが目白押し。UIA東京大会、基調講演のエッセイを書下ろしました。大真面目な内容です。 さて次回予告、山形国際ドキュメンタリー映画祭の報告を執筆中です。すでに昨日、公式HPには受賞作品が発表されています。

◆2011年秋 第1弾 ときにはいろいろ考える 映画祭

読書だけではもったいない秋。お盆明け以降の備忘録です。第一弾はドキュメンタリー映画祭。 ■タケオ ダウン症ドラマーの物語 もしもタケオくんが身近にいたら、まずは戸惑うでしょう。彼の自由さを持て余しはしないかと恐れながら。改めて、自由さとはなん…