ともえ投げアルマジロ 『青肉』

パロディ的な要素、やや特殊すぎるが魅力的な登場人物たち、希望のある結末など、いろいろな側面が丁寧につくられています。作者のもつ誠実さを読み取りました。作者の世界観や意に反するかもしれませんが、失礼を承知でわたしなりのつづきを書きました。ひとに語る物語をかく、そしてきちんと結末を用意してあげることって、むつかしいと思います。友人作のこの物語に、楽しみを覚えただけでなく、少し反省もしました。

おへんろ
はたしてクスクスのはつぶたいは大成功。かつて研究室だったドアをあけ、いまではながいながいぼーるんぐじょうになった動物地下鉄をみおさめて、お笑いのじゅんぎょうにでることになりました。こしにはもちろん青アルマジロカツ(といっても新製品のタブレット版なのです)をたずさえて。
こうしてクスクスはさといものみなしごの邑にやってきたのです。かわいいこどもたちはしろくてぬるりとしたおんなじ顔をならべて目をしばつかせています。「さて、これからご紹介する青年は」、はじまりはじまり。ところがみなしごたちはゆらゆら頭をかぜにそよがすばかり。世界が滅亡するまえ、人間がわかったつもりだったことには、どうやら世界の意志のうむにかかわらず、いでんしというものがはたらいている、けれども笑いがいでんしないことはだれもしらなかったのです。しらべようというひとがいなかったのですからあたり前です。脳さいぼうは笑いのしぐなるの機構をうしない、体は笑いというりつどうをわすれてしまいました。
その日からクスクスとこどもたちは笑いのとっくんにいそしみました。まず先生となった彼女はこどもたちにほんとうの笑いをひろうします。つまりさいぼうのいっせいのこわばりとふるえの交互うんどうです。目をしばつかせていたばかりのこどもたちにおどろきがうまれました。そしてひとりひとりの笑いの会得がはじまります。あああ、ははは、けけけ、たたた、わわわ。それはさといもの葉のざわめきとなって増幅していくのでした。おこしにつけたタブレット、クスクスはそれを使うつもりはこれっぽちもありません。

つづく、ひとまずおしまい。