エッセイ
ちょっと卑屈な自分を笑っちゃう、この小気味よさ! 「本好き女の離婚確率」なんてのもあるけれど、いまじゃあ「本好き女の孤独確実」なわけ。「ふとんを生涯の伴侶」にわたしも、ときどきわめいたって、まるまってたって、いいじゃない。
子供はけっして無邪気な天使ではない。小賢しさがまだないために、無垢の不気味さを抱えている。それをえがける大人は、鋭さと豪胆さを備えた女性たちだけだなあ。佐野洋子、武田百合子、そして誰だろう?
昔懐かし、夏休みの気分になりました。記憶は脳裡だけではなく、五感のすべてに宿るもの。
アメリカの大学で教職につき、詩人である主人公が一念発起、トスカーナに草臥れた家「ブラマソーレ」を買う。休みのたび、地元の職人とやりあいながら理想のわが家とし、庭にたわわになる果実で目と舌を楽しませる。と、小説だと思って読み進めましたが、実…
大事に、大事にして読んだ。ために、予定より一週間ほど遅れる。彼女の意志の強さをかみしめ、記憶を自分のそれと重ねたどるように、あるいは底のしっかりした靴で石畳を歩くように、古本の粗く黄ばんだ紙を繰るように。語られる言葉と読む行為とが、ひとつ…
「人生はよろこばせごっこ」。これぞ人生最大のよろこび。ほんと、このひとことにつきる。簡単じゃあないけどね。名作「てのひらを太陽に」誕生秘話がなんともいい。その日も徹夜をしていたという四二才の彼はふと、子どものころのように懐中電灯を手のひら…
久々の井上靖。やはり、スゴイ。大作家にふさわしく、彼は眼前の名作から、作者の姿を透かし見る。たとえば桂離宮のくだり。「しかし、樹木も敷石も何もあわてて決める必要はない」作者のなにげない機微を説得力のある文にする、観察眼。知ることは、不自由…
多忙な時期、読書は易きに流れる。こういう読書を時間の消費という。慰みにすらならない。反省。絶対泣かない/山本文緒/☆を所詮つけられないとをわかっていながら。働く女性、そんな単純なもんかしら、時代差かもしれない。再婚生活/山本文緒/ウツ療養中…
小公女と少女たち きっと似ている。そんな予感がしたのは、幼いころ好きだった本が、バーネットの「小公女」だと彼女がいっていたからです。とかく悩みがちだった、かつての私と同じ選択。彼女の小説に興味はないけれど、以来、彼女の名を意識するようになり…
母になった俵万智、大人になって俵万智 自意識過剰!彼女の世界にふれたとき、そう反発したものです。私こそ、「山西記」にいたく共感するような、実に自意識過剰な中学生でした。元新聞記者に俵万智を薦められたのは半年前のこと。母になって感性がまた一皮…
すべての女性たちへ この島には空間がある、時間がある―生真面目な良心は世界におしつぶされ、静かな心は日常に駆り立てられる。私たち女性はもう、枯れ果てるまで自らを与えてきてしまった。同時に、与える術を知らず、途方に暮れてもいる。コネチカットの…
潔く、それでいて温かい。たしかにそれは薩摩隼人の血かもしれないし、これぞ白洲正子なのかもしれない。―私は幸福だった。というより、この雑木林の前に、明るく開けた野原が見えるが、そこへ行けば幸福が待ちうけているような感じがしたのである。―西国の…
ざくっと斜め読み。手抜きのエッセイの感があり、何より他人の居酒屋論ほどつまらぬものはないようです。場数踏んでなんぼ、我流でなんぼ。 居酒屋の「なんかいい」というところは、ひとりほくそえむ感じと、居合わせた客との連帯感が同居するあたり。「やあ…
他人の旅論ほどつまらぬものもないようです。それともシットかな。もちろん、旅の土産話は大歓迎。GW明け、たくさんの方から体験話と世界の味をいただいて、早くも一か月以上、経ちました。 エッセイでは、オペラや動物園のくだりが面白い。旅先で非日常と…
ビルマにあってビルマでないワ州。そこはアヘン生産の「黄金の三角地帯」。素朴な村人たちと自らケシ栽培に勤しみ、村の酒宴に、そして生や死に立ち会う。その筆者が町でもらしたのひとこと、「世界」はまだ存在していたんだな、というのが率直で印象に残る…
小さく地味だが誇り高い街、あるいは異形の街。「特ニ記スベキ何事モナシ」、と、『ザルツブルク幻視行』は始まる。歴史であり、エッセイ、小説でもある。こういうものを、描きたい。こういう体感のために、きっとだれもが旅をする。 何事もない一日がやがて…
「脩ちゃん」とお会いしたのは石山研「農村研究会」の折。二日酔いの講師のお出まし、上機嫌の我が師との掛け合いは、仙人たちの知恵比べのようでした。 本書で脩二さんの写真作品の流れをしり、SD(1972/03)「日本村/今」を見ました。いぶし銀の淡路瓦と、…
哀しいだけが孤独ではないとしる温かさもつよさも、うちにあるそれは時間が醸成するものだから耐えるのみ、心裂かれる時もある
おとな二人、というより、妖怪二人でしょうか。面白いのですが、少々鼻持ちならないしお勉強にならないので☆は控えめ。ただ、五木寛之のあとがきのエッセイを読んだとき、ああもう、本当にうまいなあ、とくやしくすら思いました。対談集はけっこう好きで、今…
行きつけのバーで本を読み、手帳に言葉を書き写していた。すると、「君、メモ魔だねえ」。声をかけてきたのは初老の男。悪名高い有名ゴシップ誌の編集長だったという。「ほう、建築やってるの、わりに字が汚いじゃない」。メモ魔諸君、読書家諸君には物足り…
クリスマスに妹にあげた本。実は自分が読みたかったのだ/いまの私に枯渇するものがわかり、すっとする。言葉も思考もないところ、あたたかさと深さだけの場所に埋まりたい。/この本は素直で、なにかを差し出す。シンプルにひとに与えられるものを紡ぎたい…
我があるようで さしてない 欲ぶかいようで さほどない 武田百合子、いいなあ 大岡昇平や飼猫への追悼、ぐっときた
プロはプロ、やはり上手い。ただ、徐々にその上手さ、五木節に疲れてしまった。最終的に印象に残る作品は案外少なく、この本を読むきっかけになった「横田瑞穂先生のこと」が一番の良作か。早稲田という舞台も共感する理由だろう。金沢での一場面を描いた「…
Hは、母Nと小旅行をしながら読んでいます。母のエッセイに登場する様々な人物や自分。解剖されるような距離には、安っぽい感傷は微塵もなく、残酷で絶妙でもあります。 この上なく気まぐれで、その上精神的にマイッているHは、電車にのっても寝てばかり。…
歳を重ねたひとのテクストには、含蓄や枯淡があり、ときに癖もある。プロの作品、素人の習作の別はない。読むたび、己の薄さに嫌気がして、何かを書ける気がしない。それなのに、いつのまにか再び、文字に埋もれて雑文を書いている。 またしても、歳に見合わ…
企画勝ちです、おもしろい。 間合い―きれいな和語ですが、うまくゆかないものですよね。たいがいは間抜けの間、に終わってしまう。 ラジオ深夜便を夜ごときいては、感心しています。
言葉は進化し、退化します。昭和九年に書かれた「文章読本」にはミイラ化した指摘も見られます。国語=日本を考える際、日本と西欧、和文と漢文の対置は、明解ですが、ややうっとうしい。とはいえ、反省しました。正確に表現しようとするあまり、饒舌になる…
「象の時間と蟻の時間」、ふと思い出すサーリネンのことば。時間のスケール感は、空間のそれよりも得がたい、出自と文化を負うものではないでしょうか。西沢さんの徒然なエッセイ、コルビジェやニーマイヤーに関する文など読み、建築にしろ文学にしろ、縮み…
百ファンは作家にも一般読者にも多く、出会うたび親近感を覚えます。学生のときには退屈だった「阿房列車」も今では手放せない一冊ですが、「ご馳走帖」のほうが面白いと思っています。 本書の列車の旅は昭和30年代前半、私の両親の幼いころにあたります。…