「わかっていて」読んでしまった本たち ☆

多忙な時期、読書は易きに流れる。こういう読書を時間の消費という。慰みにすらならない。反省。

絶対泣かない/山本文緒/☆を所詮つけられないとをわかっていながら。働く女性、そんな単純なもんかしら、時代差かもしれない。

再婚生活/山本文緒/ウツ療養中の再婚生活。日記を書くことはともかく、それを出版すること、意味がないとわかっていて斜め読みしてしまうこと、とはどういうコト?ふとムージル「特性のない男」が頭をよぎる。「個」を思考する上でいつかは読みたい未完の大作。毎日「なにたべよう」しか興味のない私には至極高尚に違いないが。

勝手に絶望する若者たち/荒井千暁/著者は産業医。私が入社したころの出版。過大な焦り、いわゆる自己偏愛、つまり自信の欠如…。世代論であり、それ以上に個人の疾患である。他人のせいにしては情けなく、自分のせいにするのもしんどい悪循環。

ラテンに学ぶ幸せな生き方/八木啓代ラテン音楽を生業とする著者は「アリとキリギリス」の引用がお気に入り。ラテンと日本の生き方の明快すぎる喩。でも日本人は本当にアリ?イソップのアリは、自己を疑わない点でさほどキリギリスと差異がありません。一方私たち(「勝手に絶望する若者たち」)は大いに悩み、なす術もなく必死なのでは?本書、唯一の収穫は、政治家たちがこぞって歌をつくり披露するという、びっくりな南米選挙戦話。2011年、ケイコフジモリはそんなことしてなかったけれど。