日本の陶磁 小山富士夫 ☆☆☆

陶磁をしりたい方にはあまりおすすめしない。百聞は意見にしかず、というわけだ。
日本の諸相を垣間見たい、そんな方にはぜひよんでほしい。
見慣れすぎた日本列島も、教科書的な日本史も、眼が違えばこんなにも違う。
(2010年10月)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

秀吉の朝鮮征伐が日本の陶器の歴史をつくった−つるん、ぺらりと仕立てられた日本地図が、実は幾層もの不織布の絡み合いだと気づかされる。小山富士夫はそこからある1枚を拡げてくれた。ピンセットで剥ぎとるようなもったいぶったところは少しもなく、さっと風呂敷をあけるこなれた手つきで。

その風呂敷にとびこんでみたものの、品評会に紛れた素人の感。だが居心地の悪い場違い感ではない。まさに不織布のようなやわらかさだ。ページの黄ばみが優しさの演出に一役買ったのだろう。あるいは次々に並ぶ陶磁の名が、一種の恍惚感を醸し出すのかもしれない。代々の楽の話も魅力的だ。それらが詰まったページを繰る手はなかなか進まない。それは退屈さゆえではない。たんたんとした文の中に、陶磁独特の「ざんぐり」とした質感らしきを予感するからだ。

たくさんの勉強が控えているが、まずは「ざんぐり」をこの手に感じたい。建築の世界は、とかく決め込みが多く、そのわりに張り詰めた息苦しい表層に終わりがちだ。それとは異なる、陶磁の世界の質感を期待している。