アイスランドへの旅 ウィリアム モリス ☆☆

アイスランドへの旅」と私の旅のはじまり
>>独立以前のアイスランドを、二度モリスは訪れている。本書は1871年、最初の旅の手記だ。当時37歳のモリスは一週間の船旅をへて、ポニーで島の西側を一か月ほどで巡った。海に浮かぶ、不気味な山のシルエット。すっきりとしない空模様のもと、一行は荒野と川をわたる。「サガ」を生んだその地と営みを、素直な感動とともにつぶさに見てとるモリスの眼差し。およそ150年を経て、国の仕組みや産業も、生活も大きく変わったアイスランドであるが、その地の力は変わらない。モリスの眼をかりるだけでなく、自身の体でたしかめたい力強さである。
>>今だから言う。アイスランドは自ら進んでいきたい国ではなかった。太陽の光たっぷりのところに行きたい。ポルトガル南イタリア、沖縄だっていい。半ば義務感でアイスランド史をにわか勉強し、出発直前にモリスを読んだ。案の定暗い。けれどもふと考えなおす。旅行記におもしろいものなど元来それほどない。内田百輭は好きだが愚痴っぽい、独特のウィットのチャペックも名文は書いていない。幸田文「崩れ」は良作だが…云々。モリスの援護者を探すのであった。
ただひとつ、大いに期待したものがある。それは一週間もの北上の果て、モリスがようやく最初に目にしたアイスランドの不気味な姿と、上陸を待つはやる心。彼は海のうえで、そして私は雲のうえから島を目にすることになる。
果たして、私の上陸は深夜であった。真夏には白夜ともなるアイスランドだが、さすがに陽の光もあたたかさも残していない。びしびしとくる冷気、ふわふわとする言語、長いフライトでぼおっとした意識。上陸の期待感をモリスと共有することはできなかった。
レンタカーの面倒な手続きを経てようやくケフラヴィークに着くと、ビール瓶を振りかざした若者たちが車を乗り回し、身を乗り出してはしゃいでいる。いかにもさびれた郊外の週末。そうかここは最近まで米軍がいたんだな、と短絡的な合点をする。
起床は五時。私の体内時計は、旅先でも軍隊生活でも申し分ない。清潔で静かな部屋で目を覚ましてほっとした。カーテンをあけると、ただ灰色に水平に、空と海とが塗り分けられている。時間と場所がまどろむ。
ブルゾンをはおり海岸にでた。濃い青の倉庫、濃い緑や橙の乗り物。壊れていないものなどひとつもなく、修理されたものもない。色の鮮やかさがかえって寒々しさを強調する。ああ、アイスランドにきたんだ。とんでもないところだ。ようやくモリスへのひとかけの共感を覚え、私の旅が始まった。