スローターハウス5  カート・ヴォガネッ ト☆☆☆☆☆

旅に携える本は、須賀敦子ミヒャエル・エンデ。いつのころからか、どこに行くにもこう決まっていた。ところが今回は違う。遅まきながら電子書籍に手をだしたのだ。ところがラインナップが実に悪い。寺田寅彦をのぞき、私の好きな作家はことごとく市場からはずされている。(寺田にしたって、著作権が切れているだけであり、メジャーなわけではあるまい。)
窮して思い出したのがヴォガネットだ。これまた一般に好まれる作家だとは到底思えないが、おそらく本国アメリカでの根強い人気が日本版の電子書籍化にも一役買っている、とみている。
この「スロターハウス5」、まったく旅向けの本ではない。アイスランド滞在中は一頁も読む気にならなかった。しかしSFは、その性質からしてフライトには向いていた。いつもなら寝て果ててしまう窮屈な座席で、映画をみることもなく読みふけった。
小説は、ドレスデンの大空襲を軸とし、主人公は人生の時空間を行き来している。それは身体的なものではなく意識の往来であり、制御は不能だ。夢をみていると認識しながら、夢の中で夢を見る、あの感覚に似ている。作中、“So it goes.”(そういうものだ)というフレーズが繰り返される。簡単ではない歴史や時間の認識の問題を、からっとした距離感の風を吹かせて扱えるのは、ヴォガネット特有のユーモアによる。
しかし読後感は決してからっとしたものではなかった。いくつもの時空の糸が、自立し、撚り合さり、またほぐれ、最後には大きなストリームとなって私に流れる。言語化できない時空の圧を感じ、不思議な体感を得た。それゆえに、時空の往来を語ろうとした主人公の老齢の姿に切なさを覚えた。