essay 0811

途方もない時間の結晶だった。空まで抜ける透明を、太陽に透かし見る。涙ほどの虹が輝き浮かんでいる。


「火と氷の国」といわれるアイスランド。氷河は、火山を覆って広がり、陸地の一割以上を占める。切り立つ氷壁、鏡のごとき魔術をみせる湖、空と大地を切り裂く大瀑布。変幻自在に、あらゆる風景を小さな島にもたらす。ヴァトナ氷河はその代表格だ。ヨーロッパ最大の氷河を歩こうと、多くの観光客が集まる。
私たち4名もここでツアーに参加した。青年ガイド2名が率いる、アメリカ人観光客8名とのパーティである。禁欲的で筋肉質な体躯の彼らと、往復5時間の道のりを行く。


火山灰が堆積した沼地を出発する。一時間後には、足元は乳白の氷床で覆われている。光の眩しさに、色が失われた世界。ひと連なりの影がそこを横切る。風の音すらない。凍れる時間を、クランポンのリズムだけが刻む。はるか彼方、オベリスクの集合体が空を貫いている。そこが私たちの目指す氷壁だ。
氷壁までもうひと時間もかかるというのに、体はすでに熱っていた。私は一歩一歩を探るのが精いっぱい。一息ごとに胸の動きが大きくなる。頃合いよくガイドが解説をはさむ。


わずか1cmの氷河は、15mもの雪が圧縮されてできている。今それが融け、足元の無数の穴ムーランに流れてゆく。何かのきっかけで氷河の表面に水流ができ、漏斗状に氷河が削られるものらしい。深いものは数十mに及ぶ。氷河を、硬く突き固められた光と時間を、のみこんでいくブラックホール
この巨大氷河も、数十年後にはこうして融け去るという。ムーランは要因のひとつであり、背景には地球温暖化があるといわれる。けれども本当の原因はわからないとガイドはいう。「ただ、なくなることは事実なんだ。地球の時間においてその重みはわからない。僕にとっては淋しいこと、それは確かだ。」感傷にすぎることはなくいい、氷河を削りとってみせる。私はてのひらに欠片をわけてもらった。


高密度の透明さ。時が張りつめ、小さい虹がとらわれている。虹は、束の間の夢であり、無数の想いである。生命が意志を獲るより遥かに昔から、紡がれてきた夢。名づけられることもなく、ふつりと現れては消える想い。けれども氷河は時を超越するほどに大きい。自らが融けていくことすら、彼にとっては、恒常状態の一部であるかもしれない。
てのひらに儚い虹が、大きな氷河のかけらがある。私の手は、限られた時しか測れないものさしだ。氷河の圧倒的な時にふれて震えている。


氷河との出会いののち、宿へ車を走らせる。アイスランドの陽は長い。夜八時をすぎたころだ。牧草地が一瞬、黄金色に染まったかと思うと、大きな虹があらわれた。腕をめいっぱい回して描いたような幾重もの半円。うねり道をいく私たちに、いつまでも併走した。
私はあの、てのひらの虹を想った。