14/03/30 石山さん退官記念シンポジウム 「これからのこと」大隈講堂

建築という物語、そして一人ひとりの「これから」

石山修武がよくわかる会だった。建築の講演ではない。テーマは「これまでのこと」ではなく「これからのこと」、かたちのない未来なのだから。(鈴木さんの逝去が心から惜しい。磯崎さんが体調を崩して欠席されたのも残念。)

壇上で、石山さんの同朋の幾人もが檀上各々の「これから」を語った。松崎町気仙沼・唐桑、広島から。客席にもたくさんの顔があった。だが「これから」にはまだ、かたちという生が与えられていない。ヴィジョンをかたちあるものへとつなぐ、そんな物語を書いたのが石山さんだった。

入社して間もなく、「石山さんの建築のどこがいいのか」と先輩社員に聞かれた。「物語がある」というためらいのない答えに、彼は疑問を向けていた。実務を通し、現実という靄が濃く立ち込めてきたのは事実である。けれどもわたしはふただび、物語としての建築を信じたい。わたし自身のこれからが見えない。日本のこれからも見えない。暗澹たる思いと、もう一度がんばろうという思いがうずまく。


静岡の鈴木さんへ

7年前のカンボジア、蒸し暑い空の下。わたしは自らの「これから」を考えられていたとは思いません。常に10年先を描け。石山さんに言われ続けてきましたが、目先の不安、プライド、卑しさでいっぱいでした。カンボジアで、ツアーのみなさん、なーりさん、現地の子供たち、多くの方に出会いました。たくさん失敗をし、怒られ、助けてもらいました。いろんな人がいるところに行こう、ゼネコンを実務の出発点にしよう、そう決めたきっかけでした。

一年後「女性と建築」を考えようと手探りで論文を書き、卒業しました。研究室最後の日、石山さんに「30までの3つのこと」を宣言しました。ひとつも遂げられず、今も粛々と設計をしています。ひとつひとつ目の前のことを片づけるばかりで、大きなビジョンを描けない。生まれつきの不具だと思い続けてきました。けれどもここ2,3年、少し違う考えももてるようになりました。目先の小さなことも大きなものにつながるかもしれない。日々に感謝できずに他人に何を設計できるだろう。

わたしの今は、カンボジアでも国会図書館でも書けなかった筋書にあります。漠とした不安と焦りはあります。本当に「これからのこと」を書かないといけない。

大隈講堂から千人を超える聴衆が帰る中、足を引きづりながら声をかえてくださいました。私の顔を、あのときの手紙とともに覚えていてくださった。本当にうれしかった。小雨のまじる夜風がきになり、隔てた時間があまりに長く、なにより穏やかな鈴木さんの強い芯には触れがたく、言葉が見つからなかった。けれども思いを質す機会をいただきました。わずか5分ほどの再会、ありがとうございました。体にきをつけてください。