アンネ・フランクの記憶 小川洋子 ☆☆☆

1995年、アンネの足跡と友人たちをたずね、小川洋子はオランダ、ドイツ、そしてポーランドへ発つ。「古い友人」のようだというアンネと彼女とは、書くことへの思いで結ばれている。ひとの身体、時間、想いは、無残に解体され、無機的なパーツとして集積された。それでもなお、虚無には還らない、表現。

8年ほど前、5月のドイツは、友人に忠告された通り、嵐の季節だった。ワイマールに近いブヘンバルト。記憶が正しければドイツ最大の収容所だ。荒涼とした灰褐色の地面と空の間に建物がある。その内部には空間も時間もない。人体解剖やガス室があったと思うがよく憶えていない。同行の研究室同期が興味津々といった瞳を弾ませ、そこかしこを覗き込んでいた。それを不快に思い、瞬間、歴史に対する無思考の申し訳なさが刷り込まれているのを知った。同じ年の秋、韓国の収容所に行った。かつて日本が朝鮮の人を、戦後は韓国が政治犯を収容した。そこでは違う意味で、過去を自力で考えることは不要だった。蝋人形がたくさん並び、いかに日本が悪いかが演出されている。interpretationの議論。正しい己の眼で歴史をみることはできるのだろうか。小川洋子の、ひとりの少女の表現への共感と称賛は、私にとっては新鮮であり、とても納得のいくものだった。
(140717読了)