ちくま日本文学034 寺田寅彦 ☆☆☆☆

エッセイの名手といえば内田百輭、秘蔵っ子といえば寺田寅彦です。今回再読し、80年前の彼の予見に驚きました。当たり前といえば当たり前の「教訓」なのですが、今の日本を言い当てており、今更ながら「ギクリ」としたわけです。

とくに『化物の進化』における「(科学は)結局はただの昔の化物が名前と姿を変えただけの事である」との言葉は、今「思い当たる節」があるはずです。化物も科学も「流派」のちがう「創作であり芸術」であり、化物と同様に科学でいうところ原子も分子も目には見えないではないか、ただそれによって物事がうまく説明される、というわけです。まさにこの度の原発事故を引き起こしたものが、この点における「勘違い」−科学はいわば化物の対極にあるもの、絶対的に信頼できるという過信−でした。科学は化物と同様に、本質的に人智の及ばない「おそろしいもの」であることを私たちは目の当たりにし、事故に続く世界各国の慌てぶりとして表出しました。

とはいえ、寺田の言葉は説教がましいところがありません。科学の眼差しが、一般の生活者(新しい技術の流行や迷信、季節感の機微だったり、満員電車だったり…)に注がれており、味わいを楽しみました。彼には、多岐に渡る事象の連関が実体を伴って見えるのでしょう。今の自己目的的な科学や政治、つい凝り固まってしまう自分自身への反省を感じます。具体的・画期的手段は見当たりませんが。電車で隣合わせた乗客の雑誌を覗き見るだけでも、手にしたことのない、触れようともしていない情報が溢れています。経済、医療、競馬、ありとあらゆる情報ー紙上でそれらに触れるだけならまだしも、寺田のように生活の中に見つけ相互に関係させていくのは、易しくはないでしょう。

解説で藤森照信は前電気時代の視覚の人、として寺田のちょっと「ザンネン」な部分を指摘していますが、そんなところがむしろ市井の我々には近づきやすいのではないでしょうか。