「想定外」の罠 大地震と原発 柳田邦男 ☆☆☆ 

「想定外」は免罪符ではない。この欺瞞にあふれた思考停止状態には現実主義やご都合主義、専門家の傲り、あらゆる言い訳が燻る。天災も、それに続く人災も、実はそういった人間の性質に起因するところが多い。肝心なのは案外、想像力を伴った身体感覚、なのである。

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一設計者として自分自身が糾弾されているようであった。思い出すのはある戦争映画に登場した当時の証人の言葉。「すべては他者のことを自らに引き寄せる想像力の問題」。もしかしたら私が勝手に思ったことだったかもしれない。なにしろ映画をみたのはもう十年前、記憶は曖昧だ。だがメッセージは鮮烈であった。それから十年の間に、いかほど想像力を果たして養えただろうか。設計をしていると、自分自身のうちに、そしてときに顧客の中にも、それが鈍っている現実を目の当たりにする。
図らずも先日読み終えた「崩れ」。山地の崩壊をめぐって幸田文が延々と言葉をつづる様は、やや異様なほどであった。だが、まさにあの態度ー自らの足で歩き、山について、そこにめぐり合わせた人間や彼女自身について語るーこそ、彼女の想像力と身体感覚の発露であったといえる。もちろん彼女ならではの特殊な出方をしているとは思うけれど。
諸問題の帰結するところは、結局は想像力、そして案外左脳的な頭脳よりも右脳的な身体感覚だと本書はいう。彼のいわんとすることは、頭ではよく解る、身にも沁みてよく分かる。そこに私たちの身体=行動が伴わなくてはならない。
(関連書籍)幸田文「崩れ」2011.09.21