GANTZ SUPER!

wow!とほんとに口に出してびっくり嬉しかったのは今年はじめてか。うん、ぜったいそうだ。嬉しくて書き留めました。まさか、ダメモトで出したメール、ドイツから返信が来るとは。

Afterwards
12月1日
仙台へ。吹雪く福島を北上、宮城に入りパッと晴れ渡る空。抒情的な市街地の欅に映画『第三の男』を思い出す。

12月2日
せんだいメディアテークは、欅の黄色と冬の空気をとりこみ、どこまでも透明だ。温泉のような陽だまりの中、老いも若きものんびりと本を読んでいる。話声が全くないのは少し淋しく、エスカレータばかりが無機質にうなる。とはいえ、ここには、東京にはない「市民感覚」の存在を十分に感じられる。だれもが場を自分のものとしているのだ。ここで、Huebnerさん・伊東豊雄さんご一行に遭遇。今回の仙台来訪の目的は彼らの小さなシンポジウムだ。

こどもNPO主催のシンポジウムは、100人も入らないホテルの会議室で行われた。会場を明るくするBGM、闊達な子供たち、気配り上手な女性たち。建築の講演会とは正反対のアットホームな雰囲気だ。

Huebner氏は、生徒や住民とのワークショップで計画した学校、復興開発事業などを紹介。最も大切なプロセスは、計画の最初期で関係者を「建築の物語」に取り込むことだという。
大きな体をタテにヨコにのばして語り、「学校をつくったのは900人のアーキテクト」(生徒たちを含めて)という。その表情は誇らしげだ。教育と建築の理想を語り、実現する逞しさに魅せられた。つくることは力強い、そう素直に思う。シンポジウムに参加した教育関係者、子供たちも、大いに励まされたことだろう。(欲を言えば、彼ら教育の立場からの生の声にもっと触れたかったけれど。)

だが、学校設計の現実は厳しい。安心・安全の最優先、従前のやり方の絶対視、コスト、スケジュール、規準の融通の利かなさ。それ以前に、建築設計そのものの根本的障碍がある。
第一に「エンドユーザー≠事業者」という構図。設計者は、顔の見えないエンドユーザー在り様を、想像力と経験で補っている。
いまひとつは、事業者の複雑化に伴って求められる合議制と、その手段としてのコンペだ。講演では伊東豊雄さん自身、「コンペという形態は時代にそぐわない」ことを認めていた。最終形のビジョンを描くことは、目標共有の上で有効ではあるが、足枷になるのが実際だ。

「建築の物語」は、そしてそれをつくる人や時間はどこに追いやられてしまうのか。建築を縮図として日本社会の全体像が見える。けれども私は、ここ仙台に培われた市民感覚に期待する。被災地だけでなく、日本全国のひとびとに、逞しいモデルを見せてほしい。力になれる機会を望む。