死に急ぐ鯨たち/方舟さくら丸 安部公房 ☆☆☆

見えない毒に侵されながら「おもてなし」をする国。この異様な終末を正鵠に射ていた。今、ぜひ読みたい安部公房の小説、評論。

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明日は今日のようにやってくる。逃れられない危機の存在を知っていても、そう信じて疑わないのが私たちだ。9.11や3.11を目の当たりにしても、核や地震に晒されても変わらない。恐怖心の拡大とともに、危機を忘却する衝動も大きくなる、自滅のプログラム。それはヒトがうまれたとき、既に組み込まれていたのではないか。


「恐怖建築」というジャンルが成立する日も遠くない。神経症が加速し、腐敗臭が漂う。かつてのポストモダンやアンビルト建築にも似た頽廃だが、今日では皮肉やお絵かきに終わらない。真剣な姿で現に建つ。
先日、あるセッションで、奇しくもふたつの恐怖建築が紹介された。ひとつは津波を想定した防災拠点となる事業所。人影もない広大な敷地と空に、堅牢な塊が切り立つ、異様な光景。他方は構造のロバスト性と冗長性の研究について。冒頭、WTC崩落のメカニズムが紹介された。
「どの危機を選択するのか?」数理の世界から建築の経験則の世界へ、無数の危機に対するスコープが問われる。多くの場合、国交省の基準、地震の推測周期等の数字をクライテリアとする。絶対ではない仮定を私たちはのみ、神経を高ぶらせながら危機の選り分けを行う。建築の不確かさ。仮定の上にあやうくなりたつ、選択されたひとつの解。


危機を捨象し、未来を選択する。馴れ合いの共犯に、ボッシュの『快楽の園』を思った。