貧困の光景 曽野綾子 ☆☆☆

本当の貧しさをわたしたちは知らない。清貧とは違う、根本的な腐敗。(2007/新潮社,140523読了)

曽野綾子講演会
【想起、理想】その晩本書を貪ったのは講演会に感化されたからだった。テーマは「世界の中の日本」。ミッションスクール時代に戻った感覚で、忘れようとしてきた思いが甦る。だれかのために在ることとは。でもだれのためにどうすればいいのか。青臭いのは承知だ。
今の実務は貧困にある人を直接は救えない。日本を改悪はしない、ものづくりの力強さを少しは共有できるかもしれないと、なんとか気持ちを保っている。目先の幸せも、こなすだけの実務経験も、いつの日か資本として役立てよう。志を忘れず日々研鑽すること。
「才能」と訳される「タレント」の語源は貨幣単位だったと記憶する。お金と同様それは増やせるものであり、自分のためだけでなく他人のために使うことができるはずだ。
そして報われようと欲を持たぬこと。旧約聖書のヨブ、敷石のドミンゴ。信じるに足る自分で在る強さ、自分にできることを信じて地道に行う謙虚さ。
【驚異と納得】八十歳をとうに超えている曽野さんだが、驚くべきことに、七十歳そこそこにしか見えない。話の構成も飛ぶかと思えばつながり、聞き手の興味を絶やさない。話をきくうち、なんともエネルギーに満ちた生き方を垣間見、全てに納得がいった。人と出会い、生の体験し、全てを教えとしてとりこみ、そして確信をもって自分のタレントを役立てる姿勢。彼女の好き嫌いは別れるところだが、私は素直に見習いたい。
【反省】人の役に立ちたいだなんてつくづく私も単純だ。今ある問題を抱えている。はた目には些細でも、当事者には自身の存在意味を揺るがす問題だ。時代錯誤な日本の家制度は理屈にすら合わないことに私は確信を持ってきた。今後も信条は変えることはありえないが、対立する主張の間で、調和を願ってひたすら心をくだく人がいた。その人が押し殺してきた意見を、私は確認すらしなかった。恥ずかしい。その人のように身近な人への思いやりすらもたず、何ができる。
繰り返すが、この問題に関しては絶対に意見を曲げない。でも、謙虚なその人を想うから信念の表現を変えることは厭わない。