ハーモニー 伊藤計劃 ☆☆☆

読書倶楽部にて大評判だった一冊。
世界観は比較的緻密だが単純、ゲーム的。今は懐かしいAKIRA攻殻機動隊と大差ない。それでいて現実にひたひたと肌にへばりつくような気味悪さが残る。
作者は本作品執筆ののち、若くして病床生活を終えたという。たとえ続く作品を遺したとしても、彼にはこの世界観を超える新たな像を描き得なかったのではないかーそう直感する。

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折りしも大震災、続く福島原発放射能騒ぎのさなか、この本を手に取った。気味悪い現実味がそれだけに増して感ぜられる。

震災直後の数日間、TVのない我が家では、最上の文化的機械であるラジオを四六時中つけていた。地震放射能事故の速報が24時間流れ、在日外国人の帰国や一部に買占め現象がみられた。全世界に実況される衝撃的な津波の映像、その画面の中で犇く人間の身体は、「映画のよう」に溶解され、情報に依拠する不可視の恐怖と安全性への過剰反応は、情報の速度に比して増幅されたのだった。

震災から2週間ほど経て急増したのが、避難所の生活を伝える報道と励ましのメッセージだ。「みんなでがんばろう」と突如として善意に満ち溢れる公共電波。日本中のみなが一斉に天の使徒と化した。自分自身の無力悪を感じつつも、屈託のない善意の大挙には居心地が悪い。この感覚は日ごろ感じている違和感に通じるー小学校教育が陥りがちな、子供ひとりひとりがユニークだという勘違いだ。みなが善意に満ち溢れ、みなが個性を秘めているという、私たちの幸福至上主義。

ところで先日、知り合いに担当の竣工物件を見せた。一言、waste of timeだという。新興国の血をもち先進国の頭脳をもつ彼の眼は冷ややかなのだ。小さな一点に時間とお金を疑いなく過剰投入する日本人が滑稽なのだろう。戦後数十年を経て日本人が避けがたく行き着いたこの自閉的状況、偏狭で安易な幸福至上主義。その断片がこの震災で湧き出したわけだが、それをすでに最果ての世界として描いていたのが「ハーモニー」である。