朱の丸御用船 吉村昭 ☆☆☆☆☆

村の文学
読みかけたままにしていた「朱の丸」を再び手にとる。「村」の文学に久しくお目にかからないと、前出の「アヘン王国」できづいたためだ。「一人称単数」の独善にすぎる、ややナルシシズムなお手頃小説とはちがう、人間関係の厚みが村にはあるだろう―期待をいだく。

本物の小説
秋刀魚の初漁に始まる「波切村」のドラマは、いくつもの偶然と必然の怪事を経て、再び秋刀魚漁の季節を迎える。ドラマの始まりと終わりとでは、「海」の意味は漁民にとって、あまりに異なるものに変わっていた。水船の米を奪う村の暗黙のルール、それが破られたときの恐怖と狂気。主人公や登場人物が素朴なために、一連のドラマが一層劇的に感じられる。
小説の背景である江戸の描写も実に緻密だ。御城米船のシステムをはじめ、高度につくりあげられた役人社会、お伊勢参りブームによる米の需要などが、吸いつくように符号する。ここでもやはり、吉村は歴史をかたちづくる人々の姿を逃さない。役人はメンツに苦慮し、船頭は命がけの任務を見切り、商人はそ知らぬふりで出所の怪しい米を求める。
ひとりひとりが人間的であればあるほど、鮮やかに浮かび上がる社会。久々の、本物の小説である。