額縁への視線 小笠原尚司 ☆

デュシャンを知った、高校時代でしょうか。なにかの拍子、絵画の額が気になって仕方なくなりました。ものごとにフレームを与えること、名前、つまり意味を与えること、無意識から意識へ。長いこと、ぼんやり考えてきました。この本は、ようやく、偶然見つけた一冊。驚きや学びはさほど得られませんでしたが、著者のような方がいたと知り、安堵感を覚えました。


いくつか、鮮明に思い出す額があります。


Bunkamuraでみたレンピッカ展。妖艶で鋭利な感性を感じる、硬度の強い色と構図。縁取るのはスチールのフレーム。合わせ鏡を思わせる透明感、女性らしいシャープさが額にまでありました。会場構成もアール・デコの時代に合い、商業めいて結構でした。
展示空間そのものを額だといえば、いまひとつ、葉山でみたジャコメッティ展。夕方にさしかかるころ、海面をはねかえる光が、彫刻の背面から低く入ります。そのもの自体が影のような作品は、展示空間の光とあいまって、時間を一瞬止めるのでした。
あるいは、ペルガモン博物館のオリエンタルな門。(名前は何だったか、教科書に載るくらい有名な碧い門)それが収蔵品ですが、門型にあらゆるものが収まっています。今ここにいる観覧者、昔どこか遠いところでつくられた、こまごまとした調度品。異世界のものをひとつに収容しうる、おおらかさと凄味がある図でした。


きりがありません。


額のなげかけるものは、美術の領域にとどまらず、生活態度や建築文化そのものに通じます。ヨーロッパの家庭、日本の書院や茶室―。「額=意識のフレーム」の問題、考えていきたいと思います。いまから、ワタリウム重森三玲展に出かけます。庭の世界からも、ヒントを得られるかもしれません。