戦前日雇い男性の対抗文化―遊蕩的生活実践をめぐって― 藤野裕子

■戦前日雇い男性の対抗文化―遊蕩的生活実践をめぐって―
■〈実践〉の世界へのアプローチ
藤野裕子氏の本研究は、「男性労働者の遊蕩的で無頼的な生活実践の裏に「男らしさ」の価値体系が通流することを明らかにし、それを通俗道徳の欺瞞性に対する対抗文化として再評価」するものである。そこには「意図」せずして表現された民衆の「意味」を読もうという意欲と問題意識がある。そのものとして非常に興味深いうえ、私自身のテーマ「女性と建築」とはコインの表裏にある。

・建築(という表現)におけるモダニズムは「成人、白人、男性、健常者」を前提とする。「女性と建築」は、最も身近なマイノリティとして「女性」の表現を考えようというものであり、「マイノリティの表現」への視座において藤野氏の研究に通じる。
修士論文における研究材料は、明治末期から戦前、都市に誕生した中流家庭の主婦たちである。それは藤野氏の研究における「戦前日雇い男性」と対極にある。前者はまさに「通俗道徳」を担おうという意識をすりこまれた階級であり、後者はその対抗文化をつくりあげた。
・藤野氏は冒頭で、20世紀初頭に頻発した都市暴動を考察する上で「なぜその意識を暴力でもって表現するのかという点になると、言葉に窮してしまう」「身体の感覚や使い方が根本的に違うのではないか」と率直に述べている。
この感覚は、過去の日本人に対してだけとはいえない。先日ドイツ人の建築家にきかれた素朴な質問は「フクシマのあと日本人はどう意見をあらわしたのか」だった。日本各地でデモやディスカッションがあったことを述べたものの、それがどれくらい本気で効果があったのか、シュプレヒコール文化をもつ彼女には説明できなかった。自分自身を含め、民衆の行為は、意識と意図では説明しがたい。