貧乏サヴァラン 森茉莉 ☆☆☆☆

鼻につくというか、鼻もちならないというか、それでいて、あるいはそれゆえ、愛さずにはいられない。こんな一文がある。

欧羅巴人が鳥や獣の肉を食いちらし、獣の血のような葡萄酒の杯を傾ける、一種執拗な、重い感じは、欧羅巴の絵や彫刻、文学、音楽、すべての中に感じられるものであって、−中略―西洋人の、獣の肉や血や内臓の匂いが、血の色が透った唇から発散しているような感じには恐れをなすのだ。

私は彼女に負けず劣らずのヨーロッパ贔屓であるし、その上いわゆるメンクイである。しかし金髪碧眼、桃の肌をした美男子は苦手だ。美しさに、裏返しにおぞましさを感じる。差別ではない。生理反応である。

結局、日本人とヨーロッパの肌が違うということに尽きるのか。村上陽一郎はそれを言うのにあれほどの紙面を費やさねばならなかったが、森茉莉は先の言葉ですませてしまう。その感性にはもちろん、父、鴎外が若き日に暮らしたドイツが、食べ物を通じて注ぎこまれている。

追記:ひとつ疑問に思ったのは、これほどあらゆる食についての記述があるのに、ライ麦のについてはないこと。ドイツのパンといえば、須賀敦子のエッセイに登場する「ルチア」(たしかそんな名だ)。強い意志の塊のようなあの女性像には、西洋の傲慢さを感じる余地がなかった。私はあの、固くて黒い、すこし酸味のあるパンが好きだ。