心に迫るパウロの言葉 曽野綾子 ☆☆☆☆

残るでも、響くでもない、心に迫る言葉である。自ら正しいと考えるものを信じて行動することは、正しい。でも自らの正しさを他人に押し付けたり、求めたりしてはいけない。判っているはずの教えがいかに難しいことか。いまの私がパウロの言葉に再び出会えたことは、ひとつの贈物かもしれない。(新潮文庫/140802読了)

建築家ピエール・シャローとガラスの家 ☆☆☆☆

表題にある「建築家」の表現に違和感がある。シャローの集大成は(幸運にも)「ガラスの家」という建築のかたちをとっただけであり、そこに至る試行と思考を辿ることに展覧会の意味がある。

ガラスの家(1927−31)のガラスブロック積。昼は内、夜は外の幻想的な光の美しさには息をのむ。だがそれ以上に、このファンタジーを構成した細部ひとつひとつへの偏執に核があるのではないか。扇形の可動の仕組み、金属と木やファブリックの取合い。ガラスの家では、鉄骨柱の色の塗り分け(H鋼の内側とボルトの部分が赤い)、ファサードのためにつけられた投光器。それを美しいと思うか、醜いと思うか。シャローの作品には、工業時代の風と、手工業的な感性が昇華される様がみられる。1930年代以降、実作の機会に恵まれなかったのは景気減退のせいだけではない。過渡期とともにシャローの役割も終わったからである。

1883年生まれのシャローはちょうど私の1世紀先を生きたことになる。私たちの誰かに、あと十数年で今世紀の「ガラスの家」をつくることはできるだろうか。消費だけの21世紀に、つくることへの諦め以外どんな感性が残っているのだろうか。

パナソニック汐留ミュージアム/140802)

TYIN展 ☆☆☆

なぜ前向きな気持ちのあとには虚無感がやってくるのだろう。シャローのメモはネガティブにものとなってしまった。TYINの展覧会はつくることをふたたび信じる勇気をくれる。少し疑念をはさんでしまうのは嫉妬のためだろう。建築をつくるというより、風景をつくる。そこに素朴な手の跡とわかりやすいコンセプトがあり、イキイキとした素材と光の中に人々の姿がある。裏にはもちろん周到な計算がある。

(ギャラリー間/140730)

日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】 ☆☆☆ 竹村公太郎

「謎はすべて解けた」と決めの台詞が頼もしい著者は国交省出身の土木マン。家康が読み込み、整備した江戸の地勢、エネルギー(木材)システム、はたまた日本を出てピラミッドまで。土木マンらしい歴史に対する身体感覚はさすがである。なかでも水道史にみる歴史の邂逅に驚いた。(大正10年(1921)の東京市の水道の塩素殺菌導入、シベリア出兵、細菌学を専門としていた後藤新平のリンク。けれども水道技術が先行していた欧州での殺菌技術はどうだったのか、そもそもの疑問がある。)土地、水、エネルギー、そして食糧に対する過去の治世者たちの知見と執念が、これからの日本の針路を質す。原発、人口、社会福祉、きな臭い国際情勢、温暖化。家康の時代から下ること400年、事態は混迷を極めている。(2014/PHP出版/140720読了)

アンネ・フランクの記憶 小川洋子 ☆☆☆

1995年、アンネの足跡と友人たちをたずね、小川洋子はオランダ、ドイツ、そしてポーランドへ発つ。「古い友人」のようだというアンネと彼女とは、書くことへの思いで結ばれている。ひとの身体、時間、想いは、無残に解体され、無機的なパーツとして集積された。それでもなお、虚無には還らない、表現。

8年ほど前、5月のドイツは、友人に忠告された通り、嵐の季節だった。ワイマールに近いブヘンバルト。記憶が正しければドイツ最大の収容所だ。荒涼とした灰褐色の地面と空の間に建物がある。その内部には空間も時間もない。人体解剖やガス室があったと思うがよく憶えていない。同行の研究室同期が興味津々といった瞳を弾ませ、そこかしこを覗き込んでいた。それを不快に思い、瞬間、歴史に対する無思考の申し訳なさが刷り込まれているのを知った。同じ年の秋、韓国の収容所に行った。かつて日本が朝鮮の人を、戦後は韓国が政治犯を収容した。そこでは違う意味で、過去を自力で考えることは不要だった。蝋人形がたくさん並び、いかに日本が悪いかが演出されている。interpretationの議論。正しい己の眼で歴史をみることはできるのだろうか。小川洋子の、ひとりの少女の表現への共感と称賛は、私にとっては新鮮であり、とても納得のいくものだった。
(140717読了)

じつは、わたくしこういうものです クラフト・エヴィング商会(吉田浩美+吉田篤弘)☆☆☆

月光密売人、警鐘人…集って茶会でもしてみたいものですね。あ、でもみなさん、ほうぼう、おいそがしそうで。え、わたくし?えぇ、光蒐集士というもの、えぇ、修行中の身ですけれど。
(読書倶楽部/140529読了)