泥象(でいしょう) 鈴木治の世界 ☆☆☆☆

「使う陶」から「観る陶」へ、そして「詠む陶」へ
言葉に苦しむ、久々の展覧会。具象的で抽象的。端正でおおらかでもある。単体の力強さと、並んで立つ像の均衡。赤土の粒子はあたたかい触感を、白磁をなめる光は透き通った味覚を伝える。徐々に、題を見ずして馬と鳥がわかるようになり、その個性が語りかけてくる。赤レンガの空間、コンクリート壁や白磁色の展示台も調和していた。文句なしに勧めたい。
東京ステーションギャラリー/140816)

いろ・うごき・かたち アートをめぐる夏の冒険 ☆☆

こどもたちの夏休みは忙しい。読書感想文、自主研究、お絵かきの宿題に美術鑑賞の感想文。小中学生を見据えた本展覧会は、決して子供向けではないものの、作品の寄集め感がある。私が子供だったら感想文のネタには選ばないな。葉山館の良さである、展示室にふりそそぐ外光も活かしていない。
「いろ、うごき、かたち」というテーマ、つまり揺れ動くものの作品への結晶化を考えることは、形而上、科学的にも奥が深い。難しいことはわからなずとも、作品群を通して作家の視点と思考をどこまで追体験できるかに本企画展の面白さがある。その意味では河口龍夫の連作《倒れた木のために》が最も明快だろう。
シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田の作品に好感をもった。スケッチやチラシなどを使ったコラージュで、子供のうごき、剽軽な表情のカラス(庭の常連さん?)、窓からの風景など、日常の断片を再構成している。彼女の眼には日常の全てが細やかに美しく映ったに違いない。陽の光が葉に踊り、葉の動きが風を香りだたせ、やせた木べらをもつ手を彼女は一寸とめる。
神奈川県立近代美術館葉山/140813)

ヘスス・オルテガ グループ フラメンコ ☆☆☆☆☆

母とスペインでフラメンコをみてから8年がたちました。今回はお祝いごとのため(辛気臭い日にしたくなかったので)新宿で母と鑑賞。実力者が揃ったショーに恵まれ、力強さ、技術の高さ、すべてにのまれました。背筋から指先まで緊張をみなぎらせたバイレ。力強くギターをかき鳴らし、張のある粒のトレモロをはじき、ドラマチックにコードを展開。憧れの想いに心地よくひたったままに、あっというまに時間がすぎました。からっとした記念日に乾杯!
(エルフラメンコ伊勢丹会館/140811)

佐藤時啓 光―呼吸 ☆☆☆

週末、久々に恵比寿ガーデンプレイスに出向いた。爽やかな夕暮れの風に吹かれ、テラスでビールを楽しむ人が目立つ。開放的で賑やかな雰囲気を抜けると、佐藤時啓の異様な世界観が際立っていた。

代表作<光―呼吸>は、佐藤が無人の街や建築に光をかざし、フィルムに焼きつけた作品だ。幾筋もの光の線が束となり、うごめく塊となる。それはあたかも、都市に密やかに集積した無意識のようである。明快にして緻密、幻想的でありテクニカル。作風もまた印象的だ。

「そこにいる、そこにいない」世界を体感し、小洒落た街に戻る。風景が少し変わって見えたのは気のせいではあるまい。

佐藤時啓 光—呼吸 そこにいる、そこにいない
(東京都写真美術館/05/13-07/13)
※勤務先のメルマガに載せたものを転載しています。

夢みる人びと イサク・ディネセン ☆☆☆☆

現実と夢、現在と過去を縦断する不思議な物語3編。「夢見る人びと」と「詩人」の謎めいた女は、「百年の孤独」のレメディオスの昇天を彷彿とさせる。とはいえマルケスリョサのラテン文学とはまた異なる魅惑的な違和感を秘めている。ゴシックといわれると一寸納得した気分になるが、消化はなかなか難しそうだ。
白水社/140816読了)

県庁おもてなし課 有川浩 ☆☆

自然に恵まれた(自然しかない)高知を観光地に!県庁「おもてなし課」のラブコメありの奮闘劇。高知を旅行した気分になりました。ざくざくと読み進められるけれど、ライトノベルはやはり苦手。
(角川文庫/読書倶楽部/1408??読了)

にょっ記 穂村弘 ☆☆☆ 

俗すぎて笑いがとまらない。たいのおかしらさくらももこ)以来かな。鎌倉から新橋までの50分、諦めていつも通り寝よう。笑うアホづら、眠りほうけるマヌケづら。衆目にさらすみっともなさは大差ない。(文春文庫/140802読了/読書倶楽部)