日本
「脩ちゃん」とお会いしたのは石山研「農村研究会」の折。二日酔いの講師のお出まし、上機嫌の我が師との掛け合いは、仙人たちの知恵比べのようでした。 本書で脩二さんの写真作品の流れをしり、SD(1972/03)「日本村/今」を見ました。いぶし銀の淡路瓦と、…
アイは紙一重。愛と哀のことである。夭逝した作者の弱さと強さ、その両方がうつくしい語りに結晶化されている。ただ、うつくしいだけではない。どの小作品にもひやりとするものがある。純粋では割り切れない子供の一面や、ややもすると時代においていかれる…
いわゆるヒストリーと、オーラルヒストリー。両方が欠かせないことを改めて思う。それは文字通りの日本史でも、文化史でも建築史でも同じ。鳥の視点と人の視点を行き来することは簡単ではないが、この本はわりとうまくやっている。それもパブリック向けに。…
対話における緊張を緩めずいきたいもの。ひとつのスリルでもある。本書、とくにはっとさせられる内容はありません。
断念。でも会得には程遠くとも、エクアンさんの考えのあらましはわかったつもり。ありがたい言葉をありがたく受け取る余裕が今、ないのかもしれない。
哀しいだけが孤独ではないとしる温かさもつよさも、うちにあるそれは時間が醸成するものだから耐えるのみ、心裂かれる時もある
おとな二人、というより、妖怪二人でしょうか。面白いのですが、少々鼻持ちならないしお勉強にならないので☆は控えめ。ただ、五木寛之のあとがきのエッセイを読んだとき、ああもう、本当にうまいなあ、とくやしくすら思いました。対談集はけっこう好きで、今…
三浦哲郎にはいつも、「うた」がある。東北のすこしもの悲しい「詩」が、のびやかで小気味よい「歌」となった、児童文学。純粋さにちょっと大人びたところの混じった主人公、キャラ立ちした座敷わらしたち。私も仲間にしてほしい!大人って、仲間のいない生…
行きつけのバーで本を読み、手帳に言葉を書き写していた。すると、「君、メモ魔だねえ」。声をかけてきたのは初老の男。悪名高い有名ゴシップ誌の編集長だったという。「ほう、建築やってるの、わりに字が汚いじゃない」。メモ魔諸君、読書家諸君には物足り…
なんてことはないあらすじで、わずかなできごとを描くのみ。その中で登場人物の思いの辿り道は屈折し、それがわかりすぎるくらいに読み手に伝わる。すごい。人間に、物語に気骨を感じる。やっぱり、芥川龍之介がすごい。(収録)鼻/芋粥/蜘蛛の糸/杜子春…
なにげない言葉が、ひとつひとつ、こころによりそう。 (どうして僕はこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あつこの岸のずうっと向こうにまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしず…
クリスマスに妹にあげた本。実は自分が読みたかったのだ/いまの私に枯渇するものがわかり、すっとする。言葉も思考もないところ、あたたかさと深さだけの場所に埋まりたい。/この本は素直で、なにかを差し出す。シンプルにひとに与えられるものを紡ぎたい…
1960年前後にかかれた「文明の生態史観」他。東洋・西洋の構図ではなく、その間に「中洋」をとらえることで、旧大陸の東西の端に位置する「第一地域」、古代文明の地である中洋と周辺の「第二地域」のモデル化を行う。なるほど、欧米アカデミズムのつくった…
玉手箱である。浦島太郎はどんな心地でそれを開けたのか。カイヨワはいかにそこに、あれほどの宇宙を込めたのか。か細く、失われたものたちが遊ぶ時空間。本作では、玉手箱の蓋が自ずとやさしく開かれる。さっと薫るのははるかぜか、蛤のみせる夢か、呼び覚…
うちの親子みたい。霧島に籠る、元カメラマンの父と、脱サラ気分?の娘(長男役)。昼からワインと暖炉の生活、変な虫はでませんが鹿がお花を食べちゃいます。はやく山にまた籠りたい!ちなみに、ジャージはきていません。小気味よくて面白かったです。
我があるようで さしてない 欲ぶかいようで さほどない 武田百合子、いいなあ 大岡昇平や飼猫への追悼、ぐっときた
往復書簡、という作品名が目にに飛び込みました。続いて給水塔、曜変天目。私のために用意されたかのような言葉の並びで、本書を手にとりました。よい天気です。今から、野方給水塔にお散歩でもいこうかな。幽霊スポットの哲学堂もいいかもしれない。名前と…
プロはプロ、やはり上手い。ただ、徐々にその上手さ、五木節に疲れてしまった。最終的に印象に残る作品は案外少なく、この本を読むきっかけになった「横田瑞穂先生のこと」が一番の良作か。早稲田という舞台も共感する理由だろう。金沢での一場面を描いた「…
Hは、母Nと小旅行をしながら読んでいます。母のエッセイに登場する様々な人物や自分。解剖されるような距離には、安っぽい感傷は微塵もなく、残酷で絶妙でもあります。 この上なく気まぐれで、その上精神的にマイッているHは、電車にのっても寝てばかり。…
歳を重ねたひとのテクストには、含蓄や枯淡があり、ときに癖もある。プロの作品、素人の習作の別はない。読むたび、己の薄さに嫌気がして、何かを書ける気がしない。それなのに、いつのまにか再び、文字に埋もれて雑文を書いている。 またしても、歳に見合わ…
つくづく、ミーハーな読者向けの雑誌である。 土門拳、内田百輭、いままで何冊かっただろう。 いろいろな人がいる(いた)、日本も捨てたもんではない。
企画勝ちです、おもしろい。 間合い―きれいな和語ですが、うまくゆかないものですよね。たいがいは間抜けの間、に終わってしまう。 ラジオ深夜便を夜ごときいては、感心しています。
言葉は進化し、退化します。昭和九年に書かれた「文章読本」にはミイラ化した指摘も見られます。国語=日本を考える際、日本と西欧、和文と漢文の対置は、明解ですが、ややうっとうしい。とはいえ、反省しました。正確に表現しようとするあまり、饒舌になる…
井上ひさしっぷりを愉しむ。ただこの結末はどうだろう。単なる好みの問題かしら、お芝居でみたら面白いのかしら。最近、☆のつけかたは、やや辛め。
歴史・経済に疎い私も、少しは判った気になる。 波及力をもち、時代や思想に「大きな流れ」を生む本。その評価は、時々で変わるだけに、本のエピローグはよめない。大きな流れは得てして捉えがたく、無邪気・無意識のまま、私たちはすごす。おそろしいことだ…
「象の時間と蟻の時間」、ふと思い出すサーリネンのことば。時間のスケール感は、空間のそれよりも得がたい、出自と文化を負うものではないでしょうか。西沢さんの徒然なエッセイ、コルビジェやニーマイヤーに関する文など読み、建築にしろ文学にしろ、縮み…
デュシャンを知った、高校時代でしょうか。なにかの拍子、絵画の額が気になって仕方なくなりました。ものごとにフレームを与えること、名前、つまり意味を与えること、無意識から意識へ。長いこと、ぼんやり考えてきました。この本は、ようやく、偶然見つけ…
エッセイのつもりで読んだところ、実はさまざまなな人のショートストーリーでした。それもまた新鮮。1編、2000字程度。ちょっと江戸気質なおじいさんの、些細な失敗談・グチものが多く、私はそもそも読者層からはずれている? とはいえ家族ネタが書けるのは…
(お断り)酔って書いています。ゆえに駄文ですが本音です。 今年さっそく、☆五つ。こんなに詩情ある作家が日本にいたとは、知りませんでした。時を経て滲み出るもの悲しさと、深まる優しさとが溶け合ってました。 ただ残念ながら、私にはまだ、「時間を経る…